シェアエコノミー時代で、アイデンティティは薄れていくのか。

シェアリングビジネスって、今のトレンドと言うよりもはやメインストリームですよね。

ここ福岡でもメルチャリ(今はチャリチャリだったかな)は普通の移動手段として利用されていますし、テレビでもトヨタが車のサブスク?のCMをよく流していますよね。

こういう時代って、個々のアイデンティティって薄くなるんでしょうか、濃くなるんでしょうか。例えば、月額いくらで好きな車を借りられますって言うサービスが一般的に利用されるようになったら、その人の「好き」はどこにいってしまうんでしょうか。

昔は、というか今もですけど、モノを所有していることが好きという状態であり、表現でした。モノ主体の価値観ですね。車が大好きで、色んな車を所有している人を想像してください。

それが、シェアエコノミーの登場で、いくらでもとっかえひっかえできるようになりました。つまり、所有することに価値がなくなったんですね。別にわざわざこんなふうに言わなくたって、若い人が車を持たなくなったことから分かるように、モノに溢れた世界では、モノを持つことの意味は薄まってきています。この傾向はますます強くなっていくでしょう。

将来的には、月額いくら払えば、庶民が必要なものぐらいはなんでも手に入れることができるようになるかもしれません。だから、若者はモノ消費じゃなくコトの経験値を得ることに重きをおくようになったと言われました。

でも、その場合の「好き」って、どう表現するんでしょうか。このアーティストが好きなんだ―といって、アプリのアルバムリストを見せる。でも同じ見た目は、やろうと思えば他の人も実現できます。この人とあの人の違いが、わからないんです。昔から見れば音楽を聞くコストは格段に下がって、いろんな曲を聞けるようになりました。これを自己表現と見るのか、画一化と見るのか。

まあアーティストで言えば、ファンの人はオリジナルグッズを買ったりしますから、違いは生み出せるかもですね。というと、ある一定の所得を超えるとアイデンティティが強まっていく、ということになるのでしょうか。

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